Saya

アフターサイアフ 2017

 

 1年前の8月6日、札幌芸術祭で、私達テニスコーツは『テラコヤーツセンター「土砂」』と銘打った展示を行なっていた。寺子屋になぞらえた名前のごとく、みなさんに使ってもらえたらということで、楽器を持って集まってください、というチラシをお店など、期間前から市内の数各所に貼っていた(はず)。

 しかし、ホンマに楽器持った、知らない人なんて来るんかいな、と思いつつ、これからの予定を習字で書いたり、慣れない部屋でパタパタ準備していると、来た!楽器を持った女の人が!しかも、彼女が持ってきたのは、チューバというあまり演奏人口のいなそうな楽器であった。プラスチック製で黒色!あまりの嬉しさに興奮しながら、早速一緒に演奏を。私は独学したてのユーフォニウムで共演し(下手で驚いたろうな)、タカシはガットギター。一緒に演奏した後も、彼女は楽譜を出して、独り練習をしていた。ぜひとも楽団に参加してほしい。

 ちょうど、内覧会という、関係者や記者の方達がまわってこられて。この不思議な演奏会を遠巻きに?眺めて帰っていった。まだ、1日目だから何も出来てない部屋、しかも演奏していたので、お話もほとんど出来ず。どのような感想を持ち帰られたのだろうか。来られたみなさんの様子は面白かった。

 展示は、昼の12時から、夜の6時まで。部屋を閉めてから、OYOYOのドミューンライブへ行く。テニスコーツ、マンゴーが出演する。マンゴーの演奏がしっかりとキレていた。私達は、Wifiがない、とか、あのひと、などの曲をやった。

 OYOYOは、ウィアードメドルレコードの秋庭さんの企画で、かつてよくライヴをやらせていただいた思い出の場所である。それも、今回のOYOYO in 芸術祭にも繋がっているのだろう。このビルはなくなることが決まっているらしい、なんか寂しいなあ。

 自転車でこれから2ヶ月間滞在する天神山の宿舎へ。市内から、南へ40分〜50分ほど行ったところにある。公園を抜けて、豊平川を超える、ちょうど良いサイクリングコース。札幌へは12年ほどライヴで来ているが、この川の存在はずっと知らなかった。こんな風景が街のすぐそばに広がっていたとは。みんなが知っているけど、私にとっては初めての風景。札幌の友達のマイペースで、何事にも動じない、ゆったりした風情を浮かべ、妙に納得した。

 

アフターサイアフ 2017

 

 1年前の8月5日、この日テニスコーツは札幌入りしました。これから2ヶ月間行われる、札幌芸術祭の参加アーティストとして。タイトルが、「芸術祭ってなんだ?」ということで、普段は音楽活動家の私達は初めての芸術活動を身を持って体感するため、事前の設営は一切なしにして、芸術祭の始まる6日によーいドンと始めるつもりで札幌に来ました。

 札幌市資料館に到着。螺旋階段を上がったところの、2階の中央部屋、ここが今回私達が居続けて、展示する部屋です。今回毎日私達と一緒に過ごしてくれるマンゴーが、メインのブースを制作し、設置してくれた。ドープと書いてある。それを部屋の真ん中に据えてみると、ブースを突き抜けて窓の景色が見える、マンゴーさすがの素晴らしい出来。

 ベランダの窓を開けて、ベランダへ出ると、もう植木も置いてあった。これはホームセンターで前に買っておいた苗をマンゴーが自宅の畑で育てておいてくれた。期間中に食べられるまで育つといいな。このベランダはこの芸術祭の期間中だけは、そこに出られるように許可を取ってある(普段は出られない、重さ制限はあるようだ)。ここからテレビ塔を眺めて、息を吸うととても気持ちがいい。私達はいわば、この素敵なベランダの管理人だ。

 大友さん達が盆踊りをしている八月祭へ。眩しいばかりの風呂敷と踊り、そしてパーティー。しかし、タカシと何らか議論をして、冷静になろうと一人現場を離れる。自転車でコンビニに行き、林真理子を立ち読み(普段はしない)して出ると、街の中を流れる小川のほとりに、木づくりのお店があったので、休憩がてらしゃがんでいると、お店の人が店から出て帰るところに遭遇。注意されるかなと思って、「すみません、あんまり気持ちのいい場所なので、」と自分から言うと、「どうぞどうぞ、具合が悪いのかと心配しました」と言って下さった。沁みる!

 私がこのように街をフラフラしている間、タカシはOYOYOの大友さんとSachiko.Mさんのドミューンライヴ観に行き、ゲスト出演までしていたらしい(紙のコースターで演奏した)。とうとう始まったんだなぁ、あのライヴの日々が。

Music Exists あとがきにかえて

 

 音楽は既にそこに在る、と思っていました、いまも。

 自然みたいに最初からそこに存在していて、それを我々は覗きみて写し取っていく。部屋の中でチャカチャカ楽器を鳴らしていて、いつしか曲のようなものが出来上がっている。そんな時は、自分の部屋からあの音楽に繋がっている。大自然の中にいなくても、ここから音楽の源泉に手を伸ばし、触れ、全てが可能だと思える流れの中に身を置くことができる。

 

 そこに在る音楽というものを聴き取るためには、空白が必要だと思う。本来、音楽というのは、そういう空白を作り出すためにあるのじゃないかとすら思える。絶対的に耳を澄ますこと、自分を保ちながら、空白の中に身を置くこと。どこかで言われていることなのかもしれませんが。

 

 そう、他の人に聞こえないものが、自分には聞こえている、と言う状態、それは何らおかしくないと思う。頭の中で同じ曲がリフレインするのに合わせ口ずさむ、ことがよくあるように、実際には鳴っていなくても、自分に聞こえている音があるならば、声や楽器で写し取って人に聴かせてあげよう。

 

 聞き取ったものが、自分に聞こえているあの音楽とかけ離れたものになっていることもあるかもしれない、それはそれでいいと思う。それは自分のオリジナルと呼べるものになるだろう。それに、音楽自身は何も気にしない。音楽は今まで通りそこに在ったりなかったりするだけで、私たちのつくった何かが、音楽そのものにフィードバックすることなどないのだろう。

だから安心して、めたくたに出来るってもんです!